静観僧正と毒流の岩:宇治拾遺物語

今は昔、後に宇多天皇の勅願寺として清荒神清澄寺を建立したことで知られる静観僧正という立派な僧侶が、比叡山の西塔の千住院に住んでいました。そこは南向きで代比叡の峰を見守る位置にありました。


◆静観僧正は比叡山に住んでおられました◆

この代比叡の西北の急斜面に、大きな岩がありました。その形はまるで龍が怒って口を開いているように見えました。不思議なことに、この岩に向かい合う僧坊に住んでいる僧たちは皆短命でした。

しばらくは「どうしてこんなに多くの人が若くして死んだ行くのであろうか」と不思議がっていましたが、そのうちにこの龍の岩の祟りではないかと噂が立ち始めました。そして、いつからか人々はこの岩を「毒流の岩」と呼ぶようになりました。

「こんな岩と向かい合っていては、命がいくらあってもたいない」とばかりに、西塔からは僧が次々と出て行き、次第に荒れ果てていきました。

この岩を見た静観僧正は、「確かに龍の口に似ている。人々が噂を立てるのはもっともなことだし、早死にする僧が出るのもこの岩の祟りに違いないだろう」と言い、この岩に向かって七日七夜加持祈祷しました。

すると、七日目の夜中に、空は曇りだし、大地は激しく震動しました。毒龍の岩のある辺りは、黒雲に覆われて何も見えませんでした。夜が開け岩を見ると、粉々に砕けてなくなっていました。

その後、西塔に住む僧への祟りはなくなり、再び僧が住むようになりました。西塔の僧たちは、その後、静観僧正をありがたいと拝むようになったとのことです。この話は、宇治拾遺物語に登場します。